「愛とは何ぞや」
高校1年生の時哲学という科目での一番最初の授業で、問いかけられた言葉です。
若干、16歳のわたしは「知らんがな」それが答えでした。
希薄な愛、過剰な愛、ほどよい愛。
欲しい愛ほど遠く感じ、おしたり、ひいたり、ためしたり、愛を求めて、彷徨い歩く。
愛とは、何ぞや・・人生の中で、学び、自分の答えに辿り着くのかもしれませんね。
自分の中で、自問自答を繰り返す人生は、いつも不安。
特に恋愛中は、いろんなアレが発動すると言われています。
恋愛真っ只中にあって、幸せいっぱいなはずなのに・・
終わりが常に見え隠れ・・耐えきれなくて起こす行動。試し行動。
「私は切られたんじゃない!私が棄てただけ。」
思い込みからの既成事実が必要となるため、起こす行動。
終わるように、自分自身が操作(コントロール)してしまう「試す行動」
そして、「ほ~~ら、やっぱり、私は捨てられる、私は必要とされない」(ゴール)・・・不一致な感覚としては「安心感」
(捨てられる前に)棄ててしまえ!!(切られる前に)切ってしまえ!!
けれど、本当のメッセージは、「こんなことをしても、それでも私を愛してくれますか?(棄てませんか)」
そして、根底に抱える「怖れからの叫び(メッセージ)」は、、、
「私をひとりにしないで、どんな私でも変わらずにずーーっと愛して(私を捨てないで。あの日あの時あの場所で感じた気持ちを蘇らせるようなことをしないで)」
愛と愛着、似て非なるもの。
愛着と執着、似て非なるもの。
「私は切られたんじゃない!私が棄てただけ。」
「(棄てられる前に)棄ててしまえ!!(切られる前に)切ってしまえ!!」
その心の癖は、恋愛と仕事には、もろ反映され、そして、コミュケーション全般に影響を与え、ミスに繋がるパターンへと進化していくと言われています。
これぞ「心の仕組み」による行動パターン。
けれど、気づいた時から、変えることが可能でもあるのが、環境によって身に着けたであろう行動パターン。
今までは、そのパターンで失敗してきたと思っているかもしれにけど、これからもそうだとは限りません。
平穏な心の状態で、幸せな対人コミュニケーションを築くために・・・
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。