尾崎 豊さんど真ん中世代です。あの時代・・
昨日の心理学講座の中でも、なんだかんだ「支配からの卒業~♬」ってフレーズを歌いました。
支配というと、「親からの信念」とか「毒親」みたいなイメージで言葉が蹴散らかされていると、日々、危惧しています。
支配って、心理的な内容でそのワードを用いる時は、自分以外から「される」という解釈がそもそも危険だと思っています。
支配されてきた。支配される。支配下に置かれる、などなど。
お気づきかと思いますが、すべて「他責」あるいは「わたしは悪くない」という思想を感じます。
つまり、大人になった時のミスコミュニケーションの原因→巻き起こる全ての不都合は「他者(自部以外)のせい」〇〇のせい。という思考。
この根底が「お母さんのせい」「おやのせい」「毒親に支配されてきたから」
PS あくまでも「心理的側面からの支配」についてのお話です。
そもそも。どっちが正しくてどっちが間違っているとか、どっちが良くて、どっちが悪いという二極の選択肢をあてがって決めるものではありません。
言ってしまえば、親のせい、あの人のせい、あの出来事のせい、自分のせい、こんな人生のせい、などなど。
自分の外に原因をみつけようとする思考・思想に「支配」されていると捉える側面もあるからです。
けれど、「考えないようにする、しないようにする」って考えると「する」のが人の心ってもんです。
なので、言葉を替えるだけです。
「支配されないようにする」ではなく「支配からの卒業」
あくまでも「自主的に」「主体的に」です。
自分の人生を後悔なく生きるための「おわりはじまり」は、誰にでも訪れるポイントとしてやってくるのかも。
そこを逃さず「気づくこと」を変化と言ったりします。
他者をかえようとがんばるよりも、まず「自分自身」を大事に労うこと「支配からの卒業~♬」からはじめてみませんか。
本日は、尾崎の卒業という曲の鼻歌から・・・・「支配からの卒業・・卒業??」ってことからの考察記事になりましたとさ。
最後まで、お読み頂きありがとうございました。