「イラッ」としたときに、言葉で「オリャ~~ヽ( )`ε´( )ノ」って表現すること。これはわかりやすい。
あらららら( ̄▽ ̄;)怒ってる~~あせるわかりやすく伝わる。
一方、「イラッ」としたときに、黙る。何も言わない。
「気持ちを伝えない事にしょう」つまり、言語表現をしないという選択をしたとき、要注意です。
それって、自分だけが、そう思い込んでいる事であり、「無言の表現」として、相手には伝わっていると言われています。
眼が「キッヾ(▼ヘ▼;)」となったり、唇が「・3・」←うううってなってたり、無言どころか、完全無視だったり、歩き方、視線(眼差し)ドアの締め方、物の置き方が乱暴になったり・・・などなど
つまり、言語をもたない表現にも「本音」が乗って発信されているというわけです。
そして、人は「そこ(本音)」を汲み取るとも言われていますね^^
レジ担当のおねーさん。何か、おもせぐないこと(おもしろくない)があったのでしょう。
わたしが購入する品物をガシガシバンバン袋にいれるわけですよ。無言で。伏目がちに。
おまけにでっかいため息まで。「あたし、なにか不愉快を与えただろうか」
いんや、何も・・・しかし、わたしの心は「不愉快」でいっぱいになりました。
「なんだよ、その態度、おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいお」wwって、あと2秒で言いそうだったわ~~。
大人だから、言わないし、態度にもださないけどね←イヤ・・出たなww
「不愉快」というゲームをしかけられたら・・乗らないことです。
「不愉快」というボールを投げられたら「キャッチ」せずに。あらよっと「よける」受けない。
これこそが、「売られたケンカは買わない」ということかもしれません。
なぜか?
その不愉快という投げられたボールは、心理学的には「相手の問題」と見立てます。
キャッチボールするのは、折り合いがついて、あくまでも「ハートフル」な場合です。
意味不明に(理不尽、とばっちり)不愉快というボールを投げつけられて、わざわざキャッチする必要はありません。
これは、コミュニケーションの上で、理想かもしれませんが、そう在りたいしそのようになるための努力をしていきたいですね。
ハートフルコミュニケーションは、与えられるというよりは、自らが創っていくもの。
そう捉えてみると・・・ハートフル(⋈◍>◡<◍)。✧♡な行動を意識することが、ハートフルなコミュニティーを創ることかもしれません。
もし、「わたしなにかしたかな・・」ましてや「ごめんね、わたしが悪いことしてたら謝るから・・(理由もわからんのに)」などと、相手に対して思ったり、行動する時、それはアナタの心の癖です。
「ごめんね、わたしが悪いことしてたら謝るよ(理由もわからんけど)」
わたしが悪いことをしたから、相手が不機嫌になったのかも・・
これって本当ですか?
最後までお読み頂きありがとうございました