仙台では、小中学生の夏休みが終わり、登校する子どもたちの声が聞こえています。
学校が始まるのが待ち遠しかったお子さんがいる一方で、「なんか・・嫌だな・・」と、憂鬱な気持ちを抱えているお子さんがいるのも、この時期かもしれません。
「なんか・・・・」明確な理由があるわけでもないけど、「なんか・・」
実は、この「なんか・・・」
この答えがないように聞こえる「なんか・・」っていう感覚こそ、大事に捉えていかなければならないのかもしれません。
大人にもありますよね。「なんか・・・」
「なんか・・」って感覚が起きた時に、わたしたちは「なんか」を掘り下げて理由を探ろうとします。
そして、「なんか」の正体はコレ。って、あたかも答えを導き出したかのように思うけど・・
だいたいは「意味づけ」であり、意味づけこそ、答えではなく、誤解である可能性しかありません。
意味づけは無意味。
憂鬱さを抱えているお子さんに対して、大人がしてはいけない事は、ただ一つ。
理由を探る手助けをすること。これだけです。
つまり、「宿題終わってないの?」「意地悪する子がいるの?」「先生が嫌なの?」などなど・・・・
そして、「どしたの?暗いよ?」とか「グズグズ言ってないで、早く用意しなさいよ!」
ガーーーーーーーーン( ̄▽ ̄;)
憂鬱さを抱えた時の「自分自身」の対応を学習するチャンスを詰まないことが、大人の役割かもしれません。
大人だって「憂鬱」な時ってあります。
そんな時に、周りから、あーぢゃこーぢゃ、いらないアドバイス(こらー)、決めつけの激励(こらー)質問という名の尋問(こらー)全部うるさいと感じますよね。
「なんか」の答えは「心の静寂」の中にあって、初めてわかること。
そして、本人にしかわかりません。
意味づけは無意味。
この言葉をお伝えし、本日は失礼します。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。