グリーフとは、「愛着(アタッチメント)のある対象の喪失による悲哀、悲嘆」と訳すことが多いようです。愛着(アタッチメント)のある対象を失った時や、絆の喪失時、あるいは、喪失する可能性が強い状況においてみられる心理的反応を「グリーフ反応」と言います。
トラウマやPTSD、あるいは鬱などど、勘違いされやすい反応ですがまったく異なります。
振り返れば、父が末期癌で余命半年と宣告された瞬間から「グリーフ反応」と共存していたのかもしれません。「グリーフ反応」は、心理セラピストとして理屈では知っていたけど、やはり体験して、全身全霊で感じたからこそ、心理学という理屈・理論が腑に落ちると実感します。
わたしを事例にすると・・・
愛着(アタッチメント)のある対象(父)の死(喪失)→グリーフ
喪失する可能性が強い状況→余命6ヶ月→心理的反応→お正月、来年はないのかと思ったら涙が止まらなくなる、無力感、後悔、罪悪感などなど・・・
これがグリーフ反応だったんだ・・と、振り返って気づきました。
誰しも愛着の対象を失うことを避けては通れません。
そんな現実的な事実もふまえておくことも、心を守ることに繋がり、そうすることで健全にその時の感情に向き合えるのかもしれません。
悲しみに浸っていいことや、涙があふれてきてもいいことや、無理に笑顔を作らなくていいことや、元気なふりをしなくていいことや、大丈夫と言わなくていいことや・・・・
ある意味、喪失時の感情からの「反応」を手放してはいけないのが「グリーフ反応」への適切な対処だということを覚えておきたいものです。
グリーフ反応として、いろいろな表現がありますが、わたしのイメージは哀しみと共に「生きる」「共存する」「胸に懐き生きる」
キンモクセイが香るころ、蘇る(2014年)の記憶、そして、あの頃と同じように、ポロポロ涙がこぼれます。
過去にはならない哀しみ、つまり現在進行形の哀しみこそ、「愛着(アタッチメント)のある対象の喪失による悲哀、悲嘆」グリーフです。
そして、あれから5年経った今、哀しみは哀しみのままに、このように変化しています。
「おとうさん、ありがとう、(哀しい)恋しいよ」
哀しみは、哀しみのままに、恋しくなったり、感謝したり、尊い気持ちを感じさせてくれています。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。