生物学者の福岡伸一博士の文献を読んでいたら、一つの言葉に目がとまり、興味を持ちました。
「正しく畏れる」という言葉です。
わたしは、こわい、とか、不安とか、そういうキモチを感情の名前で表現する時は「怖れ・怖い」こちらの文字を意識して用います。恐れ←こちらは使いません。
では、「畏れ(おそれ)」この言葉の意味は、「おそれ多い・かしこまる」みたいなニュアンスです。
「畏敬の念」という言葉の意味は、自然や神に対して表現することが多いようです。
例えば「富士山からのご来光を見つめながら、畏敬の念を抱く」そんな感じです。
文字の説明は、ここまでにして、本題に入ります。
新型コロナウイルスに対する向き合い方を、今一度、確認する必要があるように感じています。
むやみやたらと「怖れる」と、買占めみたいなことが起きます(怖れを安心させる必要がある→見える結果として買占め→消毒液、マスクがいっぱいあるから大丈夫→安心)
怖れないことは、無防備になることではありません。
怖れないことは、「感染してもわたしは大丈夫」そう開き直ることではありません。
怖れないことは、「正しく畏れること」
これが、今、そしてこれからのスタンスなのかもしれません。
正しく畏れるたということは、まず自分自身が、3密対策を基本とした感染対策を行い、「今してはいけないこと」を守ること。
前述の生物学者の福岡伸一博士は、こうも仰っています。
「個人ができる最大のウィルス対策は、自分の身体を信じる事。」
感染が拡大している今こそ、「おそれ方」を見直す時なのかもしれません。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。