哀しい出来事のあとに・・・・
「強く生きなければ・・」「みんなの分まで幸せに生きなきゃ」と自分自身を鼓舞し、一生懸命に生きようとがんばってきた事実。
しかし、それらは、時に心の圧となり、「苦しいよ」って・・心や身体の症状として、教えてくれるかもしれません。
「今ココで生きている!」その事実こそが 今ココの証。
東日本大震災から、11年。
時間が経つにつれて、癒えるどころか、苦しくなることもあります。
衣食住が落ち着いて、あたかも自分自身の「心の復興」も成され、進んでいるという錯覚。
11年経ったからこそ、心の違和感に気づくのかもしれません。
リファインド心理セラピー後の変化・近況を頂きましたので、掲載させて頂きます。
(掲載に際し、ご承諾を頂いております)
11年、わたしだけ取り残されている感じがしています。それは今だに津波を憎んでいるからです。
おかしいのかもと思って、申し込みました。
復興復興・・堤防が高くなったり商店街が立派になたり、観光客が震災の傷跡を見に来たり、全部が気に入りません。
家族が私以外全員死んだ場所をバックに写真を撮っている。ピースして。
悲しすぎて死ねない。そんな11年でした。
セラピーの中で、驚いたことがありました。
わたしは津波を憎んでいるのに、津波に怒っているのに、腹立たしさがないこと。
とにかく悲しくて悲しくて悲しくて、子供のように号泣したこと。
こんなに泣いてこなかったから。
津波を恨むことで11年生きてこれたことに気づきました。
そしたら、身体の力が抜けるように、夫、父、母、二人の子供たちが死んだことがとても悲しくなって、ただ、悲しくて悲しくて涙が止まらなくなりました。
みんなの所にわたしも行きたい、ひとりぼっちで生きるなんて嫌だ、私の本音を口に出せたことが嬉しかった。
これが本音であり、亡くなった家族の分まで人生を楽しんで生きます、って、いろんなところで言ってきたけど、これはウソ。
自然に涙が止まるまで、泣かせて下さってありがとうございました。
静かに手を添えて下さってありがとうございました。
手の温もり忘れません。
あまりにも、事実は悲しいものでした。
家も家族も思い出も、ねこそぎ流され、希望をもてるはずがありませんでした。
周りが、そろそろ家族とお別れしなさい(納骨)と言うけど、お別れ?絶対しない。って意固地になりました。
けど、今は、本音に気づけたことで、したいこと、したくないこと、しなければならないことが、明確になりました。
前は、周りにいろいろ言われたくないから、立ち直っているふりをしていたのかも、だから、元気にニコニコ笑って・・けれど、本音は全然違いました。
今も、立ち直っているかどうかわかりませんし、立ち直るということが、どういうことなのかもわかりません。
けれど、生きることに少しだけ正直になっている気がしています。
最近は、日常でひとりぼっちの感覚が蘇っても、セラピーの最後のあの感覚を思い出すと穏やかでいられます。
強く生きようとは思わない。
ただ、今日を私として素直に楽しもうと思えます。
家族が全員死んで、私だけが生き残ったことに罪悪感しかなったけど、今は私のために人生を大事に生きようと思えます。
娘の手が私から離れ、流されていった瞬間の感覚は、とても辛いです。
娘の手が私から離れてしまったために娘が流され死んだ。
あの辛い死にたくなる感覚。
娘を忘れないための娘との最後の想い出の感覚でもあるから、生涯残しておきたいと思います。
ずっと悲しい記憶には変わりはありませんが、だけど、明らかに以前とは違う感じで、穏やかな心で過ごせています。
庄司さん、ありがとうございました。
庄司さんに会いたくなったらまた来ます。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。