想定外の出来事に見舞われた時や、あるいは、望んでいない状態に陥った時ほど、「オッケ~これも必要な学び」な~んて、思えなくても当然かもしれません。
わたしもかつて、「今を受け容れる」と、言葉では知っていたけれど、いざ、娘が白血病になった時や、自分が子宮全摘した時に「この現実(今)を受け容れる?そんなの無理~~」って思いました。
なんていうのかな~、そういう「美しい表現」に反発さえ覚えました。
もっと言ってしまえば、心臓がピキーーーーーンって一瞬冷たくなる感じ、世間的には「ガーーーーン」ちびまる子ちゃんでは「ザザザーーー」って顏に線が入る感じ。
この「カンジ」を知らない人が、いとも簡単に「今を受け容れる」なんて言っちゃうんだ!と、勝手に誤解し、決めつけ・・・
悲しくもギロっっと「今を受け容れる」という言葉を見つめていたことを思い出します。
「受け容れられない」「受け容れたくない」ことばかりが続いた時期が30代でした。
全くもって望んでいない出来事が舞い降りたり、深く傷ついたり、病気になったり、「大切」を亡くしたり・・・
哀しすぎて、励ましてくれる言葉に感謝しつつも、受け容れられなかったり、嬉しいのに、反発し、そんな自分に落ち込んだり・・・
そんな時に、心のお勉強や、心理セラピーと出逢うという絶好のチャンスにも恵まれました。
おかげ様で、「今を受け容れる」という文字だけの情報をギロっっと見つめた30代のわたしは、「今を受け容れる」が「感覚」として腑に落ちた50代になりましたとさOK
「今を受け容れる」って、実は、たくさんのプロセスを経て、時間が薬となり、辿り着く感覚なのかもしれません。
しかし、リファインド心理セラピーにおいては、そのプロセスを大切にしつつ、「今を受け容れる」つまり、現実として向き合えるようになることを解決への初めの一歩としています。
本来は、ゆっくり、「今、どんなカンジがあるのか」ココに、じっくりと、静かに気づいていく事が望ましいのですが・・・・
けれど、ついつい、例えばさっきのわたしを例にするならば「離婚して、娘にストレスを与えたから白血病にしてしまった」とか「きっと、いつも元気なふりして、いろいろ我慢してきたから、病気になったんだ」とか、感じる前に「理由理屈」をくっつけてしまいがちです。
それをすると、「今」感じていることが曖昧になってしまい、不確かなことでさえ「正解」として思い込んでいくことになります。
心理セラピーは、「今」どう感じているのか、心底、感じていることに気づくことでもあります。
本日は、「今」感じていることを抱きしめて・・・「今」を生きる。
その答えに辿り着いた女性の心理セラピーのご感想です。
なんで私がこの病気になったんだろう。なりたくて なったわけじゃない。
もっと日本全国の病院を回れば、なんとか良い方法が見つかるんじゃないか。
本当は手術なんか、やりたくない。
今までこんなに努力して生きてきたのに、どうしてこんなことになるの?
人生って、不公平だ。
と、とにかく、不平不満ばかりがグルグルして、吐きそうでした。
周りは、「きっと、神様が休養をくれたんだよ」と笑顔で励まされ、「神様って余計なことをするんだな」と、神様にさえイラッとしていました。
あなたが同じ病気になっても、自分に同じことが言えるの?と、心の中で反発したり。
術後も、頭で一生懸命考え「これでよかったはずなんだ」と結論を出しても、今の自分の気持ちがわからず、何も手につかない時間がほとんどでした。
セラピーから3週間がたちました、今の気持ちは、驚くほどスッキリしています。
たくさんのチャンスも、時間も奪われましたし、いまでも病気になったことにありがとうとは思えません。神様がくれた休養とも思っていません。
でも、病気になったことで、とても重要なことに気づきました。
自分自身を労い、大切だと思うこと。
このことがおざなりになっていたと気づきました。
心理セラピーを受けたことによって得た感覚です。
この病気になったことを心から受け入れるためには、もう少し時間がかかると思います。
でも、病気になって悲しかったことに知らんぷりしたり、病気になった理由を探すのではなくて、病気という事実と再発への不安もあることを認識しつつ、ともに、歩いていけるんじゃないかって感じています。
今を受け入れるためのプロセスを大事にしようと思える今が嬉しいです。
下記から必要事項をご記入の上、お申込み頂ければ幸いです。
確認次第、折り返しご連絡させて頂きます。