ある日、悲痛な叫びのようなお申し込みが飛び込んできました。
「マウント気質。どうにも止まらないので、やめたい。力を貸してください」
どちらかというと、マウントとられることが怖い、マウントとってくる人の存在に悩んでいる、あるいはマウントとる人にばかり出逢う自分自身に悩んでいるという方のご相談が多いので、今回のような「自称マウント気質」の方の悲痛な叫びが、わたしの心に刺さりました。
リファインド心理セラピーをお受けになったお客様から、数週間経った「今ココ」のメッセージを頂きました。
掲載へのご承諾を頂きましたので、本日掲載させて頂きます。
マウント気質という言葉は、私のためにある言葉だと最近は悩んでいました。
それが母に似てきているようで、それも嫌でした。
上に立ちたい、支配とは違うのだけど、私の思い通りに現場を回したい、牛耳るそんな言葉がしっくりします。
セラピー中、ありがとうという言葉が言えなくて、ありがとうという言葉に腹が立つというセラピー中の私自身の反応にかなりショックを受けました。
私は職業柄、社会的にも地位が高く、認められるであろう存在。
でも、私自身は、私を認めていなくて、その職業という肩書きに守られてきただけだと思います。
結局マウント気質も受け継がれてきた行動パターンと気づきました。
そして、私以外の誰かのせいではなく、断ち切るのは私自身だと気づいたことが、真弓さんのセッションに来てよかったと思えたことです。
気づかなかったけど、いつも悪いのは私ではなく他の誰かでした。
マウント気質って言葉は知っているけど、私のどれがマウントなのかがわからずにモヤモヤしていました。
セラピー後は、気づいて謝れるようになりましたし、自然とありがとうと言えています。
ただ、癖としてコミュニケーションの中でいまだに、マウント、度々やってしまいます。
母には、相変わらずマウントされ続けていますし、母はあっちこっちでマウントし続けています。
相手は鏡という言葉が印象的でした。
私は母のようにはなりたくないけど、似たものを間違いなく持っています。
だから、今努力し改善したいです。
母が自分の姿を通して私に見せてくれている、それも愛。
屈折した愛情だと思いますが、今は大人だからそう解釈して、自分の人生を私が私として歩みたいです。
今思えば、庄司さんに対してもマウント取りに行って、いっぱい失礼なことも言ってしまって、申し訳ありませんでした。
セラピー中、どれがマウントかわからないと言った時に、「それ、その言い方がすでに・・・」とはっきり教えてくれてありがとうございました。
12月の公開セラピー、楽しみにしています。
次世代が同じことで苦しまないために、気づいたら変化変容を誓う勇気が欲しい。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。