立ち姿勢の癖、歩き方の癖、座り方の癖などなど、無意識の癖によって、筋肉や骨格に負荷がかかると、わたしたちの身体には歪みが発生し、それに伴い「痛み」を感じたり、機能的に不都合が起きてきます。
そこで、整骨院に行ったり、エステ等、リラクセーションに行ってアロマトリートメントを施して頂くなど、改善への行動を起こします。
心の場合も、無意識の癖からの、心の痛み、解釈の不都合、感情の不一致などを感じて、改善への行動を模索する中で、心理セラピーという一つの選択肢に出逢います。
出逢って、さて、どうする?
何でもそうですが「必要ならば、行動を起こす」
案外、答えは、シンプルなのかもしれません。
なにやってもうまくいかず、同僚に言われたことが「親に感謝してる?感謝しないから、何やってもうまくいかないんだよ」
私は親を知らないのに、親に捨てられたのに、感謝なんかできっかよ!これが私の心の声の決まり文句。悔しくて泣きました。
それから吐きそうになるくらい嫌いな言葉が、産んでくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。綺麗ごとが大っ嫌いです。
私は母に捨てられた、母は私を捨てた、これが事実です。感謝は生涯できません。したくないと、ずっと母を恨むことをエネルギーにして生きてきました。
セラピー後、最近は、今まで考えたこともなかったことに気づいてしまいました。
それまで、恨んで怒りまくってきたけど、私は、私を捨てた母のことを顔も声も知らないのに、本当は恋しくて会いたくて、でも叶わなくて、ずっと悲しかったということ。
私を産んだ人は、私を産んだけど、捨てた。この事実がただ悲しかった。
事実は、私を産んで捨てたこと。事実は私が生まれたこと、今生きていること。
シンプルになりました。
ここに気づいたことがセラピーを受けて、嬉しかったことです。
庄司さんの言葉なのか、声なのか、テンポなのかわかりませんが、意固地な頑なな心が、緩んでいくように本当の気持ちが表れてきた、そんな感覚です。涙が止まらなくて困りました。待っていてくれてありがとうございました。
母と言う未知な存在に感謝するということはハードルが高いし、よくわからないけど、私が生まれたことが事実で、助けてくれた人、育ててくれた人、友人、出会った人には感謝できます。
できることからはじめます。私が生まれたことが事実、ここに気づけて本当に嬉しいです。
本日も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。